2008年12月9日火曜日

荒唐無稽な推論を展開してみる。

 わたくし、ひげめがねが将棋観戦にはまったきっかけは、河口俊彦七段の『大山康晴の晩節』であった。その中で大山-中原の名人戦(中原名人誕生となった期である)が詳細に書かれている。その名人戦第2局が大変印象的、感動的であった。 ここで大山名人一世一代の妙手が出る。△8一玉!
 普通はハナから捨ててしまう手であるが、これが絶妙の手で後手玉に寄りがないというのだから驚く。私程度の棋力では、これでなぜ後手勝ちなのか分からないくらいだ。そのことより重要なのは、大山名人は10手以上前から、この△8一玉が決め手になると読んでいたということだ。

 この局面から、 玉引きが決め手になると読んでいたと、河口先生は考察している。 私はプロの読みの深さ、膨大さにいたく感動し、ほぼ20年近く指しも見もしなかった将棋に、はまっていくことになるのである。


さて、この名人戦から40年近い時が過ぎて今期の竜王戦第5局。

 ▲3五歩がすばらしい中合いで 竜王が勝ちを決めた。 竜王は自身のブログで「▲3五歩があったのは幸運でした。」と書いている。つまり上述の大山名人とは異なり、たまたまここで妙手が落ちていた、ということになる。


  しかしですね、私はこの言葉に非常に疑問を感じているのですよ。

 渡辺竜王の将棋にはあまりにこういう「すごい手が落ちている」ということが多すぎるのだ。今期の竜王戦第4局は、本ブログにも再三書いているが、絶体絶命の局面を打ち歩詰めで逃れるという曲芸的なことをやってのけた。2期前の第2局の△7九角なんて、天から降ってきたとしか思えない寄せであった。ひげめがねなんぞは7九角に対し、「コンピュータ将棋のまねか?(コンピュータは負けとわかると何でも王手ラッシュをしてくることがある)」と思ったほどである。本当に渡辺竜王が脳みそ振り絞って考えたと思えるのは前期の第6局、残り時間30分を全部使い切って指した▲9八飛で、これには心の底から感動した。しかし、この手にしても、竜王は「偶然指した手が良かった」的なニュアンスでブログに書いている。
 これはいくらなんでもおかしい。
 そこで、あえてこういう推論を提示してみる。
「渡辺竜王は偶然を装って、実は本気勝負のときはすべて読みきっているのではないか」と!
 そう考えれば、竜王戦の戦いぶりにも説明がつく。渡辺竜王が雄弁なのも、大して読んでいないように見せかけておいて実は勝負の駆け引きに使っていると考えれば、竜王戦での驚異的な強さにも納得がいく。

 実はこう考えるのにはわけがある。羽生名人が大山十五世名人についてこのように語っているのだ。「読んでいるというより眺めているようにしか見えなかった。でも指は急所にきた」(要約ですが)。 ということは、実は大山名人は読みよりも大局観がずば抜けて優れていただけかも知れない、とも思えるのだ。ひげめがねがあんなに感動した△8一玉は、実はその場で見つけた手だったかもしれない! 大山十五世名人は自分の読みに関しては寡黙だったようである。ただ、あまりに強かったから、「そんなところまで読んでいるんだ!」と棋士たちに思わせることができたのではないか?
 逆に考えれば「渡辺竜王=実は勝負どころで羽生先生よりずっと深い読み=それをカモフラージュするためのブログ」という構図も成り立つのではないか?
 何にせよ、明日から竜王戦第6局。理性的に考えれば羽生のりだが、感情的には……。果たしてどうなるか?

【今日の結論】 荒唐無稽なことを考えながら一人心の中でほくそ笑んでいる瞬間が、実は最も快い時間だったりする。

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